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「達人と歩く町」第3回目は『石仏の見方・楽しみ方』
「達人と歩く町」第3回講座を7月11日(水)港南地区センターで行いました。

朝からじりじりと梅雨明けの太陽が照りつける7月11日(水)朝、港南地区センターに会員48名(出席率80%)が集まりました。


今回の達人、日野在住の陶山誠さんは、現役時代から各地の城や寺社を巡るのが趣味でしたが、港南歴史協議会に入られた後、まち歩きで目についた路傍の石仏に興味を持ち、やはり中学生の頃からの趣味のカメラを向け、5年間かけて区内の石仏・石塔353基を調査、昨年9月に「わがまち港南の石仏たち」として発行されました。(久良岐郡域編、鎌倉郡域編の上下2巻)

お話は、まず鎌倉の鶴岡八幡宮について、古い絵図では多くの仏教施設があり、江戸時代には鶴岡八幡宮寺と言われたものが、明治9年の廃仏毀釈により取り除かれて今の姿になったということから始まりました。

区内には庚申塔、馬頭観音塔、地蔵菩薩など324基の石造物があり、旧久良岐郡域に57%、旧鎌倉郡域に43%が存在しています。
代表的な石造物の庚申塔は、60日ごとの庚申(ひのえさる)の夜、三戸(さんし、人間の体に棲みついた三匹の虫)が就寝中に抜け出して、天の神様に悪口を告げて寿命を縮めるのを防ぐために、徹夜で延命長寿を祈る庚申信仰に基づいて作られたものだそうです。

庚申塔の基本は、青面(しょうめん)金剛という6本の手(武器、法具)を持つ仏像と、太陽と月(穏やかな天候と五穀豊穣)、三猿(三匹の虫が見ざる、言わざる、聞かざる)、邪鬼(よこしまなもの)の組み合わせですが、まれに二羽の鶏(一番鶏の鳴き声がするまでにやっつける)が加わります。 お話はところどころユーモア交えたわかりやすい語り口で、会場からはなるほどとうなずく姿が多く見られましたが、何よりも石仏に注がれる愛情の深さが感じられました。

次いで、石仏・石塔をめぐる環境は、まさに受難の歴史であり、冒頭の鶴岡八幡宮のお話と結び付くのですが、明治新政府の神仏分離令に基づく廃仏毀釈や戦後の都市化と大規模開発により区内でも多くの石仏が失われたとのことでした。

再び庚申塔のお話に戻り、その変遷について、初期の1600年代は三猿のみや阿弥陀如来、中期の1700年代では青面金剛、後期の1800年代に至っては費用削減のため庚申塔の文字のみへと移り変わっていく様子は、区内の実物の写真でよくわかり、興味深いものでした。

その他、区内の代表的な石仏・石塔について、馬頭観音塔、道祖神塔、廻国供養塔等々、順次場所や設置年の説明がありました。鹿島神社にある廻国供養塔について、坂東・西国・秩父の札所合計100ヶ所を廻った記念に男性4人と女性7人により建てられたものですが、女性はそれぞれ名前が刻んであり、社会進出を果たしていたという上大岡村の意外な歴史の紹介に笑いが起きました。

その後、会場を後にして石仏探訪コースの散策に出ました。福聚院、岡本橋記念碑、鹿島神社、最後は上大岡東口のそれぞれ石仏群を見学し、散会となりました。終了後、会員からは、「区内の貴重な遺産について、初めてきちんと知ることが出来た」という声が聴かれました。人数が多かったため、二度ずつ説明を繰り返して頂いた陶山様、汗びっしょりの参加会員の皆様、本当にお疲れさまでした。

8月はお休みを頂いて、次回第4回目は9月12日(水)、県立歴史博物館で 「アジアの中の日本開国  ―もうひとつの日本開国史を暴くー」を開催し、その後、桜木町駅前のレストランで懇親会食の予定です。
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福聚院の庚申塔、馬頭観音
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会場の港南地区センター

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今回の達人 港南歴史協議会の陶山誠さん

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石仏探訪散策 福聚院での石仏群の説明

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石仏探訪散策 鹿島神社の堅牢地神塔

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石仏探訪散策 上大岡駅東口石仏群の説明