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商店会の優しい風 - 横浜港南台 商店会
港南台の町には、商店の集まったアーケー ド街はないが、個々の商店が連携している「商店会」が存在している。今から33年前、商店会 の立ち上げに携わった恩田幸一氏と、長男で 現在の若手メンバーの中核である恩田学氏にお話を伺った。

三軒あれば商店会
1973年に港南台駅が開業し、1984年に「横浜港南台商店会」が生まれた。
当時は商店街になるほど店がなかったので、港南台の町も店も一緒に盛り上げたいと思う人達が集まって、出来たのが始まりだという。駅前のバーズはコンクリート打ちっぱなしの建物で、南部病院のあたりはまだ岩が積まれた丘だった。

まちづくりは人づくり
最初に声を上げたのは、開発前から土地を所有していた地主さんだった。家賃貸ししている商店主に、「君たち頑張れよ」という思いで、商店会を作ってくれたのだという。
まちづくりは商店会が主体になって、地主さんも、自治会も、行政も協力して、バブルの勢いもあり、どんどん港南台も人が増えた。
商店会主催のウォーキングイベントでは、沢山の人が参加し、全員が南公園を出発し終わらないうちに、先頭が駅に着いてしまうということもあった。商店会も色んなイベントをするし、自治会も活発だった。「港南台って燃えてるね」まちづくりに懸ける人々の熱がそうさせたのだ。地主さんも商店主も、町の人も皆一緒に盛り上げて、今の港南台商店会を作っていった。
商店会で、町の地図や、挨拶運動のキャンペーンポスターを作って、学校に配布した。また子ども達と一緒に野鳥の巣箱を作って、木に掛けるイベントを行った。「夢のある町なんです。自然とのふれあいがあり、朝、野鳥の声で目が覚める。夢のあるまちづくりをするためには人づくりが大事。皆が仲良くなるようにやっていった。個々の店も大切にしてくれるような人、心を育て町をつくる」と、幸一さんは語りながら、活動の写真や冊子を見せてくれた。
初めに「志」があった。夢も、人づくりも掲げたものがちゃんとあったから、行き当たりばったりで儲けだけに走らずに済んだのだ。「やっぱりまちづくりは人づくり、感謝の心ですよ」幸一さんは力強く言った。

次世代が担うこれから
父親の時よりも、経済状態は決して良くはない。それは、商店会にとっても死活問題で、時代の流れを見極めて変化しなければ残れない。でも、どの時代も人々が繋がりを求めている気持ちは共通しているはずだ。
親世代の始まりや志を見て、感じて育った次世代。その志を継ぎ、更に新しいものを取り入れていきたい、と学さんは思う。
毎月の役員会では、昔と変わらず面と向かって皆で話し合っているが、そこで出た若手の「より時代に合った会員アピールをしたい」という声が会長にも伝わり、フェイスブックの商店会ページを作る事になった。今後は、個々のお店の宣伝、アピールする場として商店会をうまく機能させていきたい。テント村※1や、ちょい呑み※2のイベントもその一環だ。
また、商店会の役割は行政とのパイプ役という面もある。個々の店で行政のサービスを受けるのは大変だが、対行政の受け皿としての機能が商店会にはある。
「主役は会員の商店であり、そこに携わっている方々で、商店会そのものが有名になったりということではなく、個々の商店と消費者の方々の盛り上がりというのが一番大事なんだと思います。ただ、商店会を通してやればやれることが沢山あるので、そこをうまく使って欲しいと思っています」と、幸一さんとは対照的に、学さんは落ち着いた表情で話す。でも、そこには父と違わぬ強い意志があった。

優しい風が吹く
何もないところからのまちづくり。道路だけが整備され、遠くまで続いていた。
地主さん達が商店をかわいがってくれて、それに商店も応えた。なんかあればすぐに協力するからね。そういう優しい風が吹いていた。その風が港南台に商店会を作り、新しく起業し、活動に加わっていく人達も増えた。
幸一さんの時代に吹いた風は、今でも変わることなく学さん達にも吹いている。

「本来大きな木が有ると日陰の木は育たないけれど、それが育っているというのは気流がいいからで、それが人づくりの一番大事なところなんです」
幸一さんの言葉は風の言葉だ。昔から今に流れている空気のまま、優しい風は私達にそれを教えてくれる。


 

※)左がちょい呑み/右がテント村

レポート◎塩崎 水映子/倉松 久美子/岡野 富茂子 文◎倉松 久美子 撮影/齋藤 保 取材日◎2017年7月24日

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